47:亀山宿(かめやま)
・天保14年の人口1549人、家数567軒、旅籠21軒、本陣1軒
・亀山は中世から続く宿場町で、徳川幕府による宿駅制の発足時から宿駅に定められた
・城下町であるとともに幕府直轄の宿場が置かれる変則的統治のため大名たちは宿泊を遠慮した

 亀山---野村一里塚---布気町---小野町---関 5.8km
 2003年10月3日、2012年1月8日





 大通りを越えてしばらく進むと左手にロウソクで有名な亀山ロウソクの工場がある。その先の本町に進むと所々に街道筋の面影を残す町並みが現れる。情緒溢れるうどん屋の看板があり、その先ではお城の天守閣のような建物も商店街に現れる。そういえば藤川宿にもこんな建物があったことを思い出す。街道は大きく左にカーブして進み突き当たりでT字路となるが、そこの左手に江戸口門跡の掲示板がある。街道は右折して進み、しばらく行くと交番先で十字路となる。ここは大手門跡だがそれを示すものは何もない。ここで左に折れて進むと下り坂となる。


 2012年1月8日、本陣跡を探して再び亀山宿を尋ねた。江戸口門跡で右折して左手のアーケイド下を暫く進んでいくと、右手の柱に椿屋脇本陣跡の標識が現れる。左手を見るとしぼりや衣料品店がある。店の方に聞くと「確かに脇本陣跡と言われている。本陣跡はもっと先にある」と教えてくれた。その先に進んでいくと右手の柱に樋口本陣跡と書かれた標識が現れる。ここが本陣跡かと左手を見るとシャープドキュメントソリューションスポットの看板が掛かっている店のようだがシャッターが降りたままだった。(追記完)


 坂の途中に曲尺手があり街道筋の面影を残している。先に進むと連子格子と蔵のある旧家が今も現存している。家と家との間から池越しに亀山城が見えた。なかなかの景色だ。街道は大通りを渡り、左手の坂を登っていくと街道筋の面影を残している家並みとなる。


 ここで、街道をはずれて亀山城を見学することにして亀山城に向かう。右手に池があり左手には高校のグランドがある坂道を登る。坂の右手には石井兄弟敵討跡の碑が立っている。


 坂の上には亀山城址跡碑が立っており、現存しているのは黒板張りの多聞櫓のみだった。桜の木立の間からその多聞櫓をデジカメに納める。亀山城は別名粉蝶城とも呼ばれたとのことで、白壁の櫓、門、土塀などが蝶の群れが舞うように見えたそうである。城の裏にある公園で暫し休憩する。城を京側に回りこんで街道にもどっていく途中で小学校低学年の子供達を追い越していくと、「おじさん旅にいくの?」と尋ねられた。突然の質問にうまく答えられず「そうだよ!」と言うだけだった。もっと面白い答えを用意しておけばよかったのだが・・・・反省。


 明倫館跡の碑が立っている亀山中学校の前を通過して、白壁の美しい亀山藩家老加藤家の長屋門と土蔵にデジカメにを向けシャッターを押す。その隣には西之丸歴史広場がある。その前を通過して街道にでるが、その先に京口門跡があるとガイドブックに記されているので探したがない。諦めて連子格子の家が残る街道を先に進む。


 すると、その先の下り坂の右手に京口門跡の掲示板が現れる。ガイドブックのズレた地図にまたもや振り回されてしまったが、これしかないので致し方ない。掲示板には「亀山に過ぎたるものの二つあり、伊勢屋蘇鉄に京口御門」と当時謡われた門であると記されている。ここには冠木門、棟門、白壁の番所と石垣などがあり、京側の坂下から見上げると壮麗を極めるものだったとの解説がある。広重の亀山の絵もこの京口門をモチーフに、雪を被った京口門の風景を下から鳥瞰する構図で描いている。しかしこの場に立つと、いつもながら広重の絵はかなりデフォルメされているなと実感する。


 京口門跡を後にして坂を下り、しばらく進むと右手に野村一里塚が現れる。現在でも大きな椋が生いしげっている。デジカメを向けたら、そこに駐車しようとして進んできた車がこちらに気付き、一里塚跡前を避けて止めてくれた。ドライバーに感謝するが、やはり史跡の前に駐車するのは考えてもらいたいものだと思う。しばらく進むと街道は野尻町でT字路を右折し、左手に鬱蒼とした木立の中の布毛神社が現れる。その近くには東海道中たぐいなき茶店と評判だった能古茶屋があり、「枯枝に鳥とまりたるや秋の暮」と芭蕉も詠んだ所であると掲示板に記してある。


 木立の中を抜け坂道を下ってくと大通りに突き当たるが、車道の先に線路があり渡れないのでおかしいと思いもどって見ると、手前の青いゴミ籠の横に左の矢印と東海道と書かれた目立たない標識がある。ガイドブックにはこの注意がまったくないので、これこそ要注意だ。大通りと関西本線を陸橋で越えて進むと鈴鹿川沿いの大岡寺畷となる。約18丁(3.5km)あるそうで、当時は松並木があったが枯れてしまい、その後桜を植えたがそれもかれてしまったと掲示板に解説してある。「から風の大岡寺縄手ふき通し、連もちからもみな座頭なり」と芭蕉が詠んだ所である。


 途中の高速道路の橋桁の壁には広重の絵が書かれている。その先の右手にある木の下で休憩にする。時おり車が通るがあたりに人はいない。お茶とお菓子で腹ごしらえをして出発だ。のんびりとした縄手を抜け、国道一号線に合流して左に進み、しばらく歩くと前方右手に関宿の案内が見える。ついに関宿だ。



(46庄野宿) (48関宿)

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