11:箱根宿(はこね)
・人口844人、家数197軒、旅籠36軒、本陣6軒
・小田原宿と三島宿から旅籠を移設して箱根宿を新設し、関所を設けた
・古くからあった箱根権現の門前町は元箱根となる

 箱根---箱根峠---甲石---錦田の一里塚---三島 14.7km
 2002年6月2日、2011年5月29日





 芦ノ湖畔の大鳥居の先から富士山をみようとしたが霞んで見えなかった。あきらめて箱根の名物である杉の大木がつらなる杉並木を通った。アスファルトでない砂利道が旧街道の雰囲気を十二分に醸しだしていた。その先の箱根関所はただいま工事中とのことで、平成19年完成のお知らせが掲げてあった。どうやら本来の関所は湖側にあったのでそちらに移し、いろいろ復元をするようである。以前見学したこともあるので関所の外だけをながめ、ホテルが建ち並ぶ箱根宿を通過した。昔は本陣や脇本陣があっただろうと思うのだがガイドブックには消滅したとだけしか書いてない。関所跡はあるものの宿場としてはいまいち味気ない感がした。


 後日(2011年5月29日)、再び箱根関所跡を訪れてみた。まずは右手の「箱根関所資料館」に入って見学する。あの大石蔵之助も通過したとの記録が開示されている。その後、リアルに再現された関所の江戸口千人溜にでる。左手に関所の解説があり、主に江戸からの出女を厳しく取り締まったと解説されている。黒塗りの江戸口御門を入ると右手の芦ノ湖側に厳めしい大番所があり、改めをしいてる様子を人形で再現している。以前と比べると関所跡と資料館を分割して展示しているので見やすいが、お金が高くなったような・・・。京口御門を抜けて暫く進み、国道一号線に交差するので右折して箱根宿にはいる。


 暫く進んでいくと右手に箱根ポテルが現れる。ここが箱根宿の本陣はふやの跡であると楓の古木の横の案内板に解説されている。また、この楓は往時、宿場の街路樹として植えられていたもので、明治の道路拡張時にほとんどが切り倒されたが、本陣前のものはそのまま残ったものであると解説されている。関所跡以外にも、ひっそりと往時の面影が残されていることを今回初めて知った。


 国道1号線を進んでいくとY字路にでる。国道から離れて右手に進み左手にある石畳み道へと入る。ここはあまり人が通らないとみえて石畳みの石が苔むしている。ひっそりとした旧街道をもくもくと登っていくと国道の下を通過していくが再び国道と合流する。そこは箱根新道の入り口が3箇所も国道につながっているので複雑な道になっている。要注意だ。通行量がおおい国道だが、車のとぎれたところで横断して右側を進み、右カーブした先で今度は左側へ横断して旧街道へと進む。歩行者無視の道路の造りに腹がたった。国道から200m先の分岐点が箱根峠であったが、何もない峠だった。峠を降りて国道にでるとファミリーマートがあった。周りにはゴミが散乱していて、ややげんなりしたが・・・・。


 国道から離れていよいよ三島に向かって下っていく旧街道へと入った。天気はいいが誰もいいない。ハイカーもこちら側には来ないようだ。道端には清楚なマーガレットが燐と咲いていた。茨ヶ平には是より京都百里、江戸二五里の道標があった。三島までは11kmとの道標も隣にあった。篠竹におおわれた甲石坂をおりて行くと途中に甲石碑が左手にある。小田原城攻めのときに秀吉がここにあった石に甲をおいて休んだとのことで、今はその石はもっと先に移動しているとのことだ。さらに下って行くとやがて国道にでる。


 昔旅人にいっぱいの粥を施したという接待茶屋跡のところで右手の山道の旧街道を進むと甲石が現れる。念仏石付近で親子連れを追い越して進;んでいくと、山中新田の民家の庭さきに入ってしまった。庭先に左折する標識があるので左折して国道にでて進んだが、ガイドブックの道とは違っていた。暫く進むと左手に石畳み道が現れた。どうも先程の民家の庭先をまっすぐに進むとこの石畳み道にでるのだが、いつのまにか旧街道が私有地になってしまったらしい。


 石畳みを過ぎると国道に合流するが手前に雲助徳利の墓が左手にある。墓は雲助仲間達が建てたもので松谷久四郎という雲助の親分格の人のものである。その先の右手には北条氏の山城だった山中城跡ある。秀吉よって攻められたときには半日で落城してしまったという石などを使っていない珍しい城だ。山中城跡を見た後、国道沿いの茶屋で甘酒を注文して休憩していたら途中で追い越した親子連れも入ってきた。先に店を出て街道を下って行くと国道を横断する手前に芭蕉句碑がある。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」とこの地でよんだそうだが、芭蕉と同じく私も富士山が見えないのでガマンするしかない。


 石畳みの道で正午となったので小休止、カロリーメイトと水で元気をいれる。背中に米を背負って登ると熱と汗とで炊けてしまうといわれる程の急坂のこわめし坂も、下っていくには何事もなくすいすいと進んでしまう。途中、左手にある松雲寺という将軍・徳川家茂や明治天皇も休憩したという寺に立ち寄って小休止した。さらに進むと解説がないので謂われは分からないが、右手に六地蔵が並んでいた。腹がすいてきたので途中のラーメン屋に入ったが満席、すごすご退散。ガマンして下ってきたら塚原新田で食堂を発見。天ぷらと刺身の付いた定食をたべる。冷房がなんとも涼しかった。


 国道1号線に再び合流、この地点に箱根路の碑があったのでカメラを構えたらライダーがここでUターンに入ってきた。カメラに気づいて心もちさがってくれたのでバイクを含めていい写真がとれた。さらに進むと石畳みの道が国道右にあり、錦田一里塚が途中にある。一里塚が左右ともに残っているのは貴重だということで国指定史跡になっているとのことである。国道と別れ、JR東海道線をこえ、さらに新町橋をわたると、ここから先は三島宿だ。



(10小田原宿) (12三島宿)

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