09:大磯宿(おおいそ)
・天保14年の人口3056人、家数676軒、旅籠66軒、本陣3軒
・虎御前や西行など鎌倉時代に遡る逸話が多い
・明治初期、岩崎弥太郎、伊藤博文、徳川御三家などの別荘が多くあった

 大磯---大磯町---二宮町---国府津---酒匂橋---小田原 15.6km
 2002年5月4日、6月1日、2004年3月28日





 国道1号線と合流する手前の松並木の途中に江戸見附跡がある。ここからが大磯宿だ。国道と合流してしばらく進むと左手に虎ヶ石の秋葉社がある。その先の右手には北組問屋場跡、そば処古伊勢屋の脇には小島本陣旧跡、左手の海岸へ行く道には大磯照ケ崎海水浴場碑がある。同志社大学の創始者であり病気療養中であった新島襄終焉の地碑や島崎藤村の墓などが付近にはある。また三菱財閥の創始者岩崎弥太郎や多くの著名人の別荘がこの付近にはあり、明治期には高級別荘地だった。


 「こころなき身にもあわれはしられけり、鴫立沢の秋の夕暮」という歌を西行がこの地でよんだことから、鴫立沢の標石がたてられ草庵が開かれたといわれる鴫立庵がその先の左手にあり、手前には湘南発祥の地碑がある。国道脇だが、欅が繁り、微かなせせらぎのする鴫立庵の入口までいったが有料なので見学しないで戻ってしまった(後日、この鴫立庵を訪れて見学したが、その昔鴫立沢の景色を旅人に知らせる為「著書湘南清絶地」と記した鴫立沢の標石がこの庵の奥にあった。大磯が日本での湘南発祥の地であることをこの石が証明しているとのことである)。なお、庭内には芭蕉句碑もある。


 先に進んでいくと、ファミレス前に上方見附跡があり、その先に大磯の松並木がある。国道1号線そのものなので感激はやや半減するが、やはり松の大木が街道を覆っているのはなんともいいがたい癒しがある。松並木が終わる直前、倉浪閣の手前の左手に松の切り株があり、解説がついていたが、シャッターを押していなかったので記憶しか残っていない。ケチッタことが反省される。(後日の調査によるならば、樹齢217年の切り株だったということであり、1782年の天明の飢饉よりも前に植えられ、その後街道を行き交う多くの旅人を見てきたとのことである)。


 城山公園があるところで街道は国道と別れてY字路を右手に進むが、国道からどんどん離れていくので、もしかしたら違う道かもしれないと不安になり、国道を進むことにした(この時は講談社のガイドブックをまだ入手していなかったので、確信の無い旅だったのだ)。旧街道は先に進むと再び国道と合流していたのだった。JRの二宮駅をこして1Kチョット先までくると道路の左手に「江戸より十八里」と書かれた一里塚跡があった。ここで国道と別れて左手の道を進み、押切坂を下り、再び国道に合流して押切橋を渡る。車の騒音に包まれながらも、左手の相模湾の眺めを慰めにして国道1号線を進むと、左手に海岸に降りられる箇所があった。海岸で一休みして、再び歩きだす。


 やがて右手にJR国府津駅が現れる。駅到着。17時18分。ついにやった。今日(5月4日)のゴールに到着だ!旧東海道に挑戦開始の2日目の計画の完遂にバンザイだ。足の痛みを堪えつつ、ポカリスエット1本を飲んで喉の渇きを癒した。まだ飲み足りないのでもう一本、今度は違うペットボトルを買い込んだ。帰りの東海道線でじっくり味わって飲んだ。一日かかって歩いたところをJR東海道線はあっと言う間に私を運んでしまった。しかし、次は箱根越えに挑むことを心に刻んで帰途についた。


 6月1日、ついに箱根峠へ挑戦だ。まずは小田原宿めざして国府津駅を出発し、国道1号線を進んだ。しばらく進む左手に松並木が現れるが、右手を歩いていたので渡るのが面倒となり写真も撮らないで過ぎてしまった(反省!)。あまりに天気がいいので先行きを心配しつつ進むと、やがて黒板塀と立派な門構えの旧川辺本陣が現れる。この付近はかっては酒匂宿といわれていたとのことである。木々に覆われた黒板塀や門構えが当時を忍ばせてくれている。さらに進むと酒匂川にでる。広重の小田原宿の絵はこの酒匂川と背後に箱根を描いているが、写真では遠方は霞んでしまって何もみえていないし、記憶も定かでない。


 酒匂川にかかった橋を渡り、しばらく進んだ左手に新田義貞公の首塚があるとのことなので探したが見当たらないので、民家の庭にいたおじいさんに「新田義貞公の首塚があるそうですが、どこにありますか」と聞いたら、「この後ろにあるが、ぐるっと回らないといけない」と教えてくれた。寄り道することで迷ったが、チャント見ることにして、ぐるっと回り込んで見に行った。首塚は扉のついた柵に囲まれ、解説板もついていた。それによれば、足利尊氏と闘い越前国で倒れた義貞公はさらし首になっていたが、その首を家臣の宇都宮泰藤が奪い、故郷上野国に葬ろうとして東海道を下ってきたが、この地で病にたおれ、やむなく義貞公の首をここに埋めたとのことである。


 裏通りにきたついでに、海岸通りを進み相模湾にも出て見ることにした。天気は初夏もようで、箱根山はまったく霞んでしまっていた。ここで小休止した後、小田原宿の入り口、蒲鉾横町をめざして歩き始めた。



(08平塚宿) (10小田原宿)

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