27:掛川宿(かけがわ)
・天保14年の人口3443人、家数960軒、旅籠30軒、本陣2軒
・1590年に山内一豊が入城し、侍町と町人地区分けなど新しい町づくりを行った
・西外れの大池橋先から秋葉神社へ詣でる客もあり宿場は大いに賑わった
・右上の写真は大池橋の写真がないので善光寺付近の松並木を配置

 掛川---大池---岡津---広岡---袋井 9.5km
 2003年1月11日、12日、2012年1月6日





 葛川一里塚跡から500m位進んだところの東伝寺の所で左に曲がる。ここからは次々と鉤の手に折れ曲がって進むので、「七曲がり」と呼ばれているとのことが街道の途中に解説されている。敵を防ぐとはいえ、街道をこんなに曲げるのはやり過ぎじゃないの・・・と思いつつ進む。最後の所を左に折れると宿場の中央通りにでる。目の前に白壁の蔵つきの建物が現れる。旅籠に行くには時間も早すぎると思い、掛川城を見学することにした。


 通りを進んでいくと右手の先に掛川城の大手門が見えたので右折。復元された大手門をカメラに納めて、その先の逆川に出ると、川越しに掛川城が見えた。秀吉の家来だった山内一豊が大改修して建てたものを復元したとのことである。江戸時代には山内一豊は土佐に移り、掛川城は徳川譜代の大名の居城となっていたそうである。早速、掛川城址まで言ってみた。観光客が何組かいて、記念写真などを撮っていた。城の上に登ると有料なのでパスして、トイレ休憩の後、旅籠にむかう。


 宿場内を歩いて感じたことだが、白壁やナマコ壁に灰色の瓦屋根という江戸時代風な建物がいくつかあり、それを観光の目玉として町づくりをしていることが感じられる。しかし本陣跡などはなく、いまいち寂しい気もした。そうこうして歩いているうちに今夜の旅籠・割烹旅館天金に着いた。


 2012年1月6日、本陣跡を探して再び掛川宿を尋ねた。宿場内を進み、右手に掛川信用金庫のある交差点を渡ると、その先の右手に連雀パーキングが現れる。そこには本陣跡の案内板が立ち、ここに沢野本陣が寛永の始めころからあったと記されている。やっぱり宿場には本陣があったことを示すものがあるとしっくりすると思った。通りの反対側には掛川市役所出張所がある。(追記完)


 明くる朝8時30分に旅籠を出発。しばらく歩いてから、ガイドブックを旅籠の出口に忘れてきたことに気づく。急いでもどって行くと、女将さんがガイドブックをもって届けにきてくれていて、途中の路上であった。(うわー、助かった。感謝!)厚くお礼をいって歩き始めた。部屋を出るときに手荷物は忘れるからDパックの中に入れなければと思いつつも、面倒だと思う気持ちが勝ってしまって大失敗。面倒だと思う気持ちがいけなかったと深く反省。中町商店街の交差点を左折して街道にもどって進む。途中で清水銀行の古風なつくりの支店を発見してカメラのシャッターを押した。


 街道がゆるく右にカーブする先に、平将門らの首を葬った十九首塚があるとのことなので、そこを目指して探したが案内が見つからなかった。同じところをさがしている3人づれの家族が前を歩いていたが見つからず右手の寺に入っていった。もう少し先ではと思い、少し先までいって右手の路地裏にいたおじいさんに聞くとこの路地の先を右に入った奥だと教えてくれた。いってみると路地の裏手に新しい十九の首塚があった。平安末期に関東の武士・平将門たちが朝廷に反乱をおこしたが討ち取られ、その首が都まで運ばれる途中、ここで首実検した後に晒され、この地に葬られたとのことである。北関東生まれの私としては何となく将門に親近感を覚えてしまうが・・・・以前は民家の間に一つだけ首塚があったものを、近隣の方が十九の首塚として再生したとのことだった。


 カメラに納めて帰ろうとしたら、先程の家族も探しあてて来ていた。途中もう一度おじいさんにお礼をいって、街道にもどって見たら、街道の左手の道標に案内が表示されていた。右手にあるのに左手に案内をだしても役にたたないぞ!と少々腹立たしかった。


 歩道はないがけっこう車が行き来する街道を進み、国道一号線と合流して左折する。広重の掛川宿の絵に登場する大池橋を渡るが、この時そんなこととは知らずに大池橋をスイスイ歩いてしまった(残念!写真がない!)。橋を渡った先で左折して国道一号線とは分かれることとなる。2km先でこんどは国道一号線のガードをくぐり、その先で東名高速のガードをくぐって進む。橋を渡った先の右手に善光寺というお寺があり、隣接して曹洞宗・仲道寺という寺もあると記されている。江戸と京都の真ん中に位置するので仲道寺というのだと解説してある。


 その先には街道の雰囲気を醸しだしている松並木が続いている。街道歩きにはこの松並木はたまらないご馳走だと心がおどる。それを過ぎて国道一号線と合流し同心橋を渡る。考え事をして歩いていたら橋を渡ったところで左折する(右折して下を回って左側にいく)のをわすれ直進して大分先まで歩いてしまった。おまけに右側を歩いていたので国道一号線の反対側には容易には渡れず、信号のある所までもどっていくはめになってしまった。左折した所には名栗の立場跡があり、その先にはこの地の名産品であった花茣蓙の解説がある。その先では再び松並木が登場してくる。


 松並木を抜けた街道の左手には日蓮聖人の父母の墓がある妙日寺、その先の小学校の一角には江戸から丁度60里にあたる久津部一里塚跡がある。しばらくは何もない街道を進んでいくと車の多い大通りと合流する。その先の信号を渡り斜め左に行くべき所を直進してしまった。次の信号で間違えたことに気付き、左折してもとの街道にもどることにした。よくよく地図を見ていないとすぐに間違えてしまうことに悩まされる。橋の手前を右折してやっと街道にもどった。ここを先に進めば袋井の宿だ。



(26日坂宿) (28袋井宿)

ホーム東海道>掛川宿