35:吉田宿(よしだ)
・天保14年の人口5277人、家数1293軒、旅籠65軒、本陣2軒
・1600年池田輝政が城主だったころ、町の名を今橋から縁起の良い吉田に変えた
・1869年(明治2年)に今度は吉田から豊橋に改名した

 吉田---下地町---小坂井---白鳥町---御油 10.2km
 2003年3月30日





 路面電車の走る道と合流する東八丁の交差点、そこに掛けられた大きな歩道橋を使って左側に渡り左折する。この角には当時宿場の入り口として建っていた東惣門の再現ミニチュアとその解説立て札がある。東惣門は東海道にまたがって南向きにたち、その横には番所があり、朝6時から夜10時まで開いていたとのことである。


 宿場内に入り、右折し、左折し、また右折して進むと大きな通りと交差するが、その右手の木立の間に、吉田城への入り口の一つであった曲尺手門の史跡がある。木々が立ち並ぶこの大通りは城へのメインストリートだったようだ。さらに左折、右折して進み、大きな通りを越えていくと、右手に鰻屋の看板が見えてくる。うなぎ丸よの店の前には、本陣跡の石碑が立ち、綺麗に手入れされている。大事にされているのが気持ちいい。さらに進んでいくと、左手に昔ながらの菜飯田楽の店きく宗がある。その少し先で右折して大きな通りを渡ると、西惣門の再現ミニチュアとその解説がある。ここを通過して吉田宿を後にする。


 豊川にでる手前で左折して進んでいくと右手に湊町公園があり、芭蕉の句碑があるとガイドブックに解説してあるので公園に入って探したが見当たらなかった。ついでにトイレ休憩し、隣の神明社という神社にきていた女性に尋ねたが地元ではないから知らないとの答えが帰ってきて、あきらめさせられた。う~残念!(実は公園の池の中の島にあったのだ)


 街道にもどり、豊川に架かった豊橋を渡る。以前はこの橋が吉田大橋といわれていたのであるが、国道一号線の橋が上流に架けられたので、その橋が吉田大橋となり、こちらは豊橋となったとのことである。また、豊川は三河という地名の発祥の元となった川であり、男川、豊川、矢作川、と三つの川があることから三河という地名がおこったといわれている。ところで広重の吉田宿では、鳥瞰図の構図をとり、吉田城の天守閣とこの豊川、遠景の吉田大橋を入れ、のびのびとした大きな風景を描いている。ちなみに吉田城跡は寄り道になるので見学を省略し、橋から見た城跡の風景をデジカメに納めた。広重とは逆の構図で。


 橋を渡って左折し川沿いに進むと左手に一里塚跡が現れる。江戸日本橋より74里と書かれている。さらに進んでいくと、連子格子のある家がちらほらと現れ、情緒ある古い家並みが続く。ここら当たりは空襲の被害をまぬがれたため、以前の面影を残しているようだ。


 街道は片側1車線の歩道なしで、まっすぐに続く道となる。トラックどうしがすれ違う場面にでくわすと弾き飛ばされるのではないかと気になったが、幸いそれほど交通量がなかったので助かった。豊川放水路に架かる高橋を渡り、坂を下っていくとその右手に子だが橋の碑がある。ガイドブックには左手にあると記されていたのだが。その昔、この地域では菟足(うたり)神社の祭りの日に、橋を最初に通った若い女を生贄にする風習があり、生贄を捕まえる役目の人が当日待っていると、働きに出ていた自分の娘がやってきた。彼はわが子だが仕方ないと、娘を生贄にしたという悲話が記されている。わが子をも人身御供に差し出したことには驚いた。しかも10世紀ごろだったとは・・・・・。


 その先の大きな通りを通過して進んでいくと、右手にあの菟足神社が現れる。ここには武蔵坊弁慶が立ち寄った時に書いたという大般若経600巻があるとのことだ。神社に経文という異色な取り合わせだ。街道は約4kmほど、見るものもなくただまっすぐに延々と歩く。だいぶ足が痛くなってきた。西古瀬川だったか、橋の袂で休憩していると、近所のおじさんにどこまで行くのかと尋ねられた。御油まで行くつもりだと答えると、頑張ってと声をかけてくれた。チョコレートを食べ、足に喝をいれて歩きだす。


 小田渕町のはずれで、直進していくと国道一号線と交差する。信号を待って国道を渡って直進する。だが、国道前で若干右折していたので、直進するつもりなら、国道を渡ってそのまま直進するのではなく左折すべきだったのを、ボーとしていて国道を渡って直進、つまり右折方向に進んでしまった。名鉄豊川線を越えて左折するとその先、街道が不明とあるがしっかりした道が続いているのだ。おかしいなと思いPDAのGPS地図で調べてみると予想とは違って直線道路の走る水田の中にいた。あー足が痛いのに余分な道を歩くとは情けない・・・・・。夕暮れの迫る白鳥町をぐるっと左に回りこみ、踏み切り手前を右折して消滅した街道あたりを通過して国道一号線へとたどり着いた。反対側には目印の国府交番が見えた。その左手が御油宿だ。



(34二川宿) (36御油宿)

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