16:蒲原宿(かんばら)
・人口2480人、家数509軒、旅籠42軒、本陣1軒
・富士川と駿河湾による水害と闘ってきた宿場であり、製塩が盛んだった
・「はなはだ馬の不自由なるところなり」との悪評もあった

 蒲原---小金---神沢---由比 3.9km
 2002年9月22日





 蒲原宿に向かって坂を下っていくと左手に寺があり、その駐車場には広重の「蒲原夜の雪」の拡大したものがかかっていた。思わずシャッターを押した。いよいよ蒲原宿だと心が踊る。ガイドブックの解説をたよりに先へと進む。T字路を右折して暫く進むと右手に東木戸常夜灯と蒲原宿の解説掲示板があった。その先の左手にはかつての問屋場、木屋利左衛門の屋号と珍しい三階建の土蔵があった。ここから見た宿場の様子はどことなくかつての宿場の情緒を残している。宿場内の途中に蒲原宿のイラストマップが無料で置いてあった。旅人をやさしく迎えてくれていることが感じられて、初めて訪れた私にとってはうれしかった。


 先に進むと右手にはなまこ壁を使ったしっかりした佐藤家の建物がある。


 その先の小川沿いの道を左に進むと広重の最高傑作・蒲原夜の雪の石碑があった。傑作といわれるだけあって、素人の私にも確かに雪の降る日の情緒がじ~んと迫ってくる絵だ。解説によるならば、この付近から見た街道の景色を書いたものとのことである。でもこの碑の場所から見たのでは、街道から離れすぎるのではないかとやや疑義が沸いたかが・・・・。また、広重の絵はかなりデフォノメされて書かれているなという感じがした。とくに背景としての山はここでは大きくて壁となって見えてしまうのだが、広重の絵では小ぢんまりした山になっている。などと、リアリズムをいうのは素人の目線だ。


 街道に戻ると右手にはかつての旅籠・和泉屋が今は鈴木商店となって現れる。しかし軒下には和泉屋の軒行灯があり情緒を醸しだしているが、自動販売機も設置されているなど今風の組み合わせにもなっている。その先の左手には本陣跡の黒板塀と門がどっしりとすわっている。


 しばらく進んで升形の道を抜けて直進の街道に出た所に茄子屋という二階建ての茶屋の跡がある。かつて槍の名手・大久保甚太夫が、直前の興津川付近で受けた屈辱をはらすために薩摩藩の大名行列をここで待ち伏せして襲ったとのことである。しかし屈辱をはらしたが、自分も力尽き討たれるという騒動があった所だそうである。右手にJR東海道線と国道一号線を見つつ県道となった街道を直進していくとやがて右手に蒲原駅が現れる。それを越えてさらに進み東名高速道路のガードを潜り、その先のY字路を左に入っていく。その先は由比宿だ。



(15吉原宿) (17由比宿)

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