48:関宿(せき)
・天保14年の人口1942人、家数632軒、旅籠42軒、本陣2軒
・中世には関谷とも呼ばれ、東海道、伊勢別街道、大和街道が分岐する交通の要衝であった
・徳川幕府の宿駅制によって宿場に定められ、鈴鹿峠への入り口として大変繁盛した
関---市瀬---沓掛---坂下 6.5km
2003年10月3日、10月4日
関宿の入り口である国道一号線のY字路を右手に入り、坂を登っていくと左手に小万のもたれ松碑がある。仇討のため亀山に武術の習得に通っていた小万が若者のたわむれをさけるために身を潜めていた松があった所である。その先の左手に灯籠と掲示板に鳥居が現れる。ここは東の追分で鳥居を潜って左にいけば伊勢別街道に行く。ここから宿場内をみると当時の姿がそのまま残っているかのような気がする。街道筋の面影がぎっしりとつまっているようだ。家並みも現代よりは一回り小さいようで、電柱もなく、現代の町並みとは一線を画しているのがなんともうれしい情景だ。これは町がこの町並み保存に力を入れて取り組んでいるから出来ているとのことだ。 |
鈴鹿の山々を遠くに見ながら宿場内をしばらく先に進むと、身分の高い武家や公家を宿場内の人々が出迎えたり見送りしたりした御馳走場跡が右手に現れる。その先には連子格子造りにした百五銀行、芸妓屋の松鶴、連子格子の家々、左手には関まちなみ資料館が現れる。ここで資料館に入って見学、すると出口の係の人がこの先に関宿旅籠玉屋歴史資料館もあるが閉館の時間も迫っているので見るならば急いでいくといいと教えてくれた。 |
斜め前の川北本陣跡をデジカメに納めて急いで玉屋に向かう。旅籠・玉屋の上がり口には人形が置かれ当時の情景を再現しており、ゆったりとした中庭もある。その隣、現在は郵便局となっている高札場跡である。 |
その隣の道を右手奥に進むと福蔵寺があり境内には小万の墓碑がある。宿場内を先に行くと右手に旅籠会津屋が現れる。もとは山田屋という旅籠で小万が生まれ所であり、仇討ちを果たした後に奉公した所でもある。 |
その反対側には地蔵院という寺がある。一休禅師は自分の褌をここの地蔵の首にかけ、小便もかけて開眼供養したのだそうである。小便をかけて供養とはまさに驚きだ。ちなみに全国どこでもお地蔵さまには首によだれかけをかけているのは、このときの一休禅師の供養からきているといわれている。今日の泊まりはこの関宿の旅籠お茶新だ。お客は他には誰もいなかった。料金は普通の旅籠と同じで安くも高くもなかった。しかし部屋のTVは30分くらいたたないとまともに映らないし、100円玉で一時間という有料制なのであるから呆れてしまう。また11時過ぎまで起きていたら消灯するように言われたのには唖然とした。経営が苦しいのはわかるが二度とお客は泊まる気がしないのではと心配してしまう。 |
翌朝8時10分、旅籠を出発。旅籠の隣は伊藤本陣跡だったのでそれをデジカメに納め、鈴鹿峠越えをするので昼飯を調達しておく必要があると判断し、コンビニを探して駅に向かってみた。国道一号線を亀山側にもどった所にコンビニがあることを付近の人に聞き、早速定番のおにぎりとお茶をゲットした。準備万端でもう一度地蔵院前に出て人通りのない宿場内を西に向かった。空は快晴だ。 |
西の外れには左手に西の追分と休憩所があり、トイレによって体調を整える。追分を左に行くと大和に向かう大和街道になる。なお、ここの掲示板には関宿を描いた広重の絵を「伊藤本陣を出立する大名行列」と解説している。地元では伊藤本陣の絵ということになっているようだ。川北本陣説もあるが、私も地元にしたがって伊藤本陣の写真を使うことにした。 |
追分を越した先で街道は国道一号線と合流してしばらく進むが、市ノ瀬で国道と分かれて右手進み、市ノ瀬の集落内を通過していく。集落内から目の前に見える山が筆捨て山かと思ってシャッター押してみたが違っていた。集落の先で再び国道一号線と合流して進む。国道が左に曲がる箇所から見える手前の山がかの有名な筆捨て山だとわかった。背後の山とダブって見えるし、岩が木立に隠れてしまい奇岩怪石の風景にはとても見えなかった。その昔、画聖・狩野元信がこの山の景観に惹かれて筆をとったが、激しく天候が変化して描きあげることが出来ず、ついに筆を投げ捨てたという言い伝えがあることから筆捨て山といわれているのだ。広重の坂下宿の絵はこの筆捨て山とそれを眺める茶屋を描いたものだが、今は民家と畑があるだけであまり眺望もいいとはいえない。 |
しばらく国道一号線を進み、その先で街道は国道と分かれて右手に進み坂道を登っていく。沓掛の集落では、青空に映える黄色い花が心を和ませてくれる。先に進むと鈴鹿馬子歌会館の先には東海道五十三次の宿場名を記した杭が立っている。そこを越してさらに坂道を進んでいくと集落の道端にピンクのコスモスが揺れていた。コスモス越しに街道を写してみる。坂道はゆるい登りだが結構ハードであり、坂下宿はまだまだ先だと思いつつ道端の杉の木の下で休憩。地元の農作業に来たおじさんに挨拶し、Dパックを背負って後から登ってきた若い人にも挨拶。同じウオーカーらしい。あとどのくらい進めば坂下宿なのか目印がないので分からなくなっていた。 |