42:宮宿(みや)
・天保14年の人口10342人、家数2924軒、旅籠248軒、本陣2軒
・宮とは熱田宮(熱田神宮)の略であり、鳥居前町として栄えた宿場だ
・東海道の宿駅制度が整備されると桑名への渡船場と、佐屋・美濃方面との追分になり賑わった

 宮---千年2---競馬場前---日光大橋---尾張大橋---桑名 約23km
 2003年5月1日、6月6日、2013年10月4日





 国道の左手を進み名鉄のガードを越したところで左折する。するとその先に一里塚が現れる。横にある案内板にはこの塚がもともと左右どちらのものなのかの説明がないので元の街道ルートがわからない。とにかくここで右折して宮宿に入る。


 暫く進んでいくと左手に姥堂とミニ裁断橋が現れる。ガイドブックには右手とあるが誤記だ。この姥堂の手前には往時は精進川が流れていて、そこに裁断橋が架かっていたのである。しかし、明治の運河工事で新たに新堀川が近くにできたので埋められてしまい跡形も無くなっている。残念ながら姥堂の案内板にその姿を残すのみとなっている。


 裁断橋が有名なのは、秀吉の小田原城攻めに従軍し病死した堀尾家の息子金助(18才)に対し、母親が息子の冥福を祈って精進川に架かっていた橋の掛け替え行ったそうで、橋の擬宝珠には母が子を思う銘文が刻まれており、それが通る人の涙をさそったとのことである。現在のそれは縮尺を縮めて復元したものである。


 先に進むと左手に喫茶店鹿鳴館が現れるが、ここらあたりが宮宿の白本陣のあった場所と思われる。さらに進んでいくと宿場内を横断している大通りにでる。往時には無かった通りだが右手の国道へ出て迂回しもどって進む。暫く進むと右手に小さな空き地(駐車場?)が現れる、そこが問屋場跡である。


 さらに進むと大通りにぶつかり、突き当たりとなる。その左手に往時の道標がある。ここは東海道と美濃路(佐屋路)との分岐点で、東北は美濃路、北南は七里のわたしと刻まれている。なお正面にはほうろく地蔵があるが、往時には神社と高札場があったところである。


 左に折れて進み歩道橋で渡り降りたところが南部本陣(赤本陣)跡であり、今は蓬莱陣屋という料亭になっている。駐車場横に案内板がある。その先に進んでいくと右手奥に、尾張藩が客館として使っていた西浜御殿跡が現れる。往時には海の中に東浜御殿もあった。(2014年1月 宮宿の詳細調査によりトップからここまでの記述を全面修正)


 さらに歩いて行くと公園の先に水辺が見える。おお!ついに七里の渡しだ。地元の人や観光で来ている人が幾人かいるだけで、そこはのんびりとしていた。ひときわ高い鐘楼、その先に常夜灯があり、海側に突き出た船着場と、静かな入り江の波。当時は、ここから桑名の湊まで七里の海を船で渡っていたのだ。大勢の人がここで乗り降りしていたんだなと感慨ぶかく船着場の先を見る。


 船着場の反対側には当時の面影を残している脇本陣だった丹羽家と料亭熱田荘とがある。しばし歴史に浸ってから船着場にいた方にお願いして記念写真をとってもらった。さて街道歩きは、今日はここまでにして名古屋駅に向かうことに決め、熱田神宮内を見学して最寄り駅まで歩いた。しかしカメラのフィルムがなくなり何も撮れなくなってしまっていた。新幹線に乗り、3日間さほどの痛みもなく頑張った両足を休める。


 6月6日午前10時、JR熱田駅の前に立つ。七里の渡し跡から桑名まで自前のルートで歩くことにしたが、その前に熱田神宮をデジカメに納めるため立ち寄っていくことにした。伊勢神宮につぐ由緒ある大社で、日本武尊の草薙の剣をご神体として祀っている熱田神宮本殿、桶狭間の合戦の勝利のお礼に奉納された信長塀、高さ8.25mの巨大な佐久間灯籠、樹齢1000年の楠木、などが境内にはある。また広重の絵は宮宿の「馬のとう」という祭りの風景であるが、そこに登場する熱田神宮の浜鳥居は南口の外の町中にあったもので今はなくなってしまっている。デジカメには南口の大鳥居を納めてその代わりとした。


 七里の渡しから桑名まで歩いていく人は当時もいたであろうが、その道がわからないので自前でルートを決めた。国道一号線と平行して海側を通る東海通(とうかいどおり)を行き、木曽川手前で国道一号線に合流して進むというルートで、遠回りせずにしかし国道は出来るだけ避けるという発想のルートである。(最近、「東海道一人旅」の掲示板で見たが佐屋街道というのがあったとのことだ。徳川家光が上洛するおり、船旅に弱い家光のため宮宿から佐屋までの街道ルートを新たに開いたものだという。詳しいルートは調査を要する。) ところで、この日は、まず七里の渡しの西にある大瀬子橋を渡り、七里の渡しを振り返りつつ南に下り東海通にでる。途中、鳥の象形文字柱が立つ八幡神社前を通過する。東海通に出て進んで行くと、左手に競馬場が現れるが、そこにこの道は東海通と呼ぶと標示されていて、通の名を初めて知る。


 当知3丁目の交差点手前で珍しいカフェテラス式定食屋で昼食にする。今日は日差しがきついので冷えた麦茶がうまい。ペットボトルに詰めて持ち出したいくらいだがそこは良識が許さなかった。昼食をとって再び東海通を進むと、その先に戸田川緑地がある。広々とした庭園と綺麗な花を眺めてしばし食休みとする。


 緑地を後にして先に進むと日光川大橋を渡る。竹田の交差点を直進し西蜆のY字路を左に進み田なかの一本道となる。六篠新田で突き当たりを右折して小川沿いの道を進む。新政成弥富線を通って尾張大橋手前で国道一号線に合流し大橋を渡る。長島橋の手前には又木茶屋という市民の憩いの広場がある。パット見て割烹料理屋かなと思っていたが、近づいて行くとトイレが開放されているのでありがたく利用させてもらい、その先にある掲示板を見ると市民の交流施設との説明があった。ずいぶんと小奇麗なのには驚いた。


 さらに進むと長良川と揖斐川にかかる伊勢大橋を渡る。先が見えない位長く、歩道付きの大橋だ。その橋を進んでいくと左手にえたいの知れない丸い球体のついた柱群が現れる。「えっ、なんだあれは?」と一人つぶやく。そしてその先では橋の途中に横から橋に入る道があり信号が付いているという珍しい構造に遭遇する。「へぇ~!」、と驚きの連続で1kmの長い橋が短く感じる程だ。伊勢大橋を渡った先で国道は左にカーブするが、その手前のコンビニで冷えたお茶を買い一服する。炎天下を耐えた体にとりあえず感謝だ。伊勢大橋を渡ったので、ここはもう桑名宿だ。5~600m先には今夜宿泊する桑名宿の旅籠がある。



(41鳴海宿) (43桑名宿)

ホーム東海道>宮宿