41:鳴海宿(なるみ)
・天保14年の人口3643人、家数847軒、旅籠68軒、本陣1軒
・昔は海の近くだったが土砂の体積で海は遠のいてしまった
・江戸時代、木綿の鳴海絞りが有名で旅人に名産品として売られた

 鳴海---笠寺一里塚---呼続---内浜町---宮 6.5km
 2003年5月1日、2005年8月21日、2013年10月4日





 平部北交差点で秋葉山常夜灯を確認し、前方のベージュ色の街道を進む。ガイドブックの地図にはこの常夜灯について何も記していない。住宅街をしばらく進んでいくと中島橋にでる。その先、右手に瑞泉寺の山門が現れる。ここから先は宿場らしい情景となり、先に進むとお菓子やさんの所で鉤の手が現れ、右、左と曲がって進み大きな通りとの交差点となる。右の坂道を登っていくと桶狭間の闘いで激戦地となった鳴海城址だが、300mの寄り道となるのでパス。交差点先、左手の橋の近くにある本陣跡を確認しておこうと、工事中でシャベルカーが動き回っていた近辺をうろうろ探したが見当たらなかった。左手の本陣跡の解説板は、この工事のため撤去されてしまったのだろうと推測して探索を諦めた。街道を進むと突き当たりとなり右折、さらに進んで宿場をあとにする。


 (鳴海宿の記述があまりにも寂しいので、2005年8月再度旅して見ることにした。本陣跡をガイドブックの地図をたよりに再び探したが見つからないので、橋の近くの方に尋ねると親切に案内してくれた。すると、交差点から街道を西へと150m位進んだ、ばん野家電の前の山車の倉庫の所に本陣跡はあった。それは西に向いており、江戸側からは白い板が壁からややはみ出しているとしか見えないものだったのだ。しかも、ばん野家電店は「BANNO KADEN」と横文字で表示されているので発見しにくいものだった。さらに、ガイドブックの地図の本陣跡の位置とはだいぶズレているのだ。これでは見落としてもしようがないと納得。)


 (本陣跡を後にし、突き当たりを右折して進むと街道筋の面影を残す家並みが現れる。大きな通りを越えて、さらに暫く歩くと西の常夜灯が現れる。ここは鳴海宿の西の入り口を示すものであり、その先に進み鳴海宿を後にする。ガイドブックの地図にはこの西の常夜灯についても何も記していない。)


 しばらく進むと右手に千鳥塚案内板が現れるが、「星崎の闇を見よとや鳴く千鳥」という連歌が関連しているとのことだが興味がないので通過する。その先の公園横の交差点を左折するので信号待ちしていると、自転車に乗った地元の人らしい60才過ぎのおじさんから「今日はどこから歩いて来たのかね」と尋ねられた。歩いて来たのが分かるのかなと思いながらも「知立から歩いて来た。今日は宮宿まで行くつもりなんです」と答えると、おじさんは以前桑名まで歩いていくという高校生にあったことや、自分もときどき街道歩きをしていることなどを話しつつ、並走してついてきた。いくつかの街道を歩いたり、自転車で走ったりしていることを話していたので、「いろいろ気が多いんですね」などと言ってしまった。天白橋を渡った先でおじさんと分かれてから、気を悪くしたかなとチッピリ気がかりとなった。桑名へ歩いていく人がいることをこの時きいて、よし俺も歩いて桑名まで行ってみようという気になった。おじさんに感謝!


 街道は笠寺町で右斜めに入る、すると右手に笠寺一里塚が現れる。塚の上には榎木が生い茂っている。そしてしばらく進み坂を登っていくと右手に笠覆寺が現れる。大きな寺なのでトイレ休憩をとることにして山門を潜った。ベンチに腰をおろして境内を見渡していると宮本武蔵の文字が目に入った。NHKの大河ドラマでやっているので儲け話にしているのかななどと流して見ていたが、実際に宮本武蔵がここに滞在していたことが後からわかった。ケチってシャッターを押さなかったことが悔やまれた。またもや残念!


 (2005年8月、宮本武蔵の件を確かめようと笠覆寺の山門をくぐる。境内の右手奥にいくと、新免武蔵の墓と芭蕉句碑がある。古い千鳥塚碑と新しい碑と二つあり、「星崎の闇を見よとや鳴く千鳥」という句が刻まれている。それが芭蕉の詠んだ句であることを初めて知った。新免武蔵こと宮本武蔵の墓はちょっと違うのではないかと思っていると、近所の方が笠覆寺の向かいの東光院に武蔵の遺品が展示されていると教えてくれた。山門前を200m位歩くとそこに東光院があった。展示はしていなかったが、剣聖宮本武蔵がここに一時滞在して仏に帰依したと解説してあった。なるほどな?と納得。)


 笠覆寺の西側出口が街道に面しているので、そこから出て直進して進み名鉄の踏み切りを越え、その先で右折する。住宅街を進み山崎橋を渡って左折し、しばらく進んでいくと近代的なビルが現れてくる。右手にブラザーの工場、左手にはラッキープラザのビルという中を進み、その先で街道は国道一号線と合流する。道の左側を進んでいくならば歩道橋を渡ってただ直進しいてるだけなのだが、右側を歩いていたため歩道橋を渡り、その先でもう一度歩道橋を渡って横断するというはめになってしまった。しかし七里の渡しまでもう少しだと思うとそんな苦労もなんのそのである。


 東海道本線を横切る立体交差の国道一号線は歩きは進入禁止なので左下を進む。どこまでも国道に沿って進むと新堀川に突き当たる。往時、ここには川がなかったのだが明治に運河として掘られたとのことである。左に熱田橋があるので迂回してもどると国道沿いの神社の前にでる。その先はいよいよ宮宿だ。(2014年1月修正)  



(40池鯉鮒宿) (42宮宿)

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