10:小田原宿(おだわら)
・人口5404人、家数1542軒、旅籠95軒、本陣4軒
・戦国時代は北条氏の支配の下、関東随一の城下町として発展
・箱根峠越えの前後のため多くの旅人が宿泊し賑わった

 小田原---三枚橋---畑宿---甘酒茶屋---箱根 16.5km
 2002年6月1日





 山王橋で街道にもどり進むと、左手に江戸口見付と一里塚碑がある。ここからは宿内だ。その先を左折しすぐに右折すると蒲鉾の工場が並ぶ蒲鉾横町に入る。ところどころ休みの工場もあるようだったが、いま一つぱっとしないので蒲鉾横町の写真を撮らないで過ぎてしまった。また、清水金左衛門本陣、片岡本陣、久保田本陣、清水彦十郎本陣の四本陣や脇本陣が宿内にはあったが、どれも確認しないままに通過してしまった。小田原といえば小田原城というように焦っていた。反省!


 (ということで、2006年2月末に再度小田原宿の東から歩いてみた。高梨町の石碑をみて暫く進むと左手に旧本陣・古清水旅館が現れる。ここが本陣跡かと思ってカメラに納めた。しかし、その隣には明治天皇行在所跡の石碑があり、左手奥空き地のような所の掲示板を見ると、そこは明治天皇や尾張徳川家等も宿泊した小田原宿の筆頭本陣、清水金左衛門本陣の跡であると書いてあった。古清水旅館脇の庭と明治天皇行在所跡が本来の本陣跡のようである。本陣跡がしっかりと守られているじゃないかと、以前にここを見過ごしたことをガイドブックの誤記のせいにして納得する。ガイドブックでは現古清水旅館を脇本陣と紹介しているが、当時は小清水という旅籠であり、ガイブブックの記述は間違いのようである。)


 (本陣跡をあとにして先に進むと左手には黒板壁の無料の休み処が現れる。有り難く休憩に立ち寄って見ると、そこには当時の宿場の家並みが図示されている、がしかし、現在地に石碑が立っているわけではないと係のおばさんが教えてくれた。先に進んでいくと、左手に江戸初期から創業している旧家づくりの小西薬局が現れる。反対の右手にはお城のような白壁の立派な建物、八棟づくりのういろう(外郎)屋が現れる。1523年から創業している日本最古の薬屋とのことだ。)


 小田原城跡に入り、お掘り端、銅門(あかがねもん)、天守閣と見て回ったが、時間がもったいないので天守閣の上には登らないで、広場で小休止とした。休日だったので子供連れの家族がけっこう遊びにきていてにぎやかだった。いつも電車からしか見ていなかった小田原城そのものをこうして直に見学できて面白かった。城の風景というものは日本的建築の美があふれているな?と感心した。しかし今の建物は全て復元されたものであり江戸時代のものは維新後の払い下げや震災で破壊されてしまったとのことである。


 小田原城から街道へともどって、先へと進んだ。JR東海道線のガード下を通過し、新幹線ガード下手前の板橋見付で国道と別れて右手の道に入る。家並の所々で昔ながらの連子格子の家があり、旧宿場の面影を感じる通りでもあった。再び国道と合流して暫く進むと箱根登山鉄道の踏み切りがありここを右手にはいり国道とはまた別れて進む。とぼとぼと歩き、紹太寺入口を右手に見て進んでいく。再び国道と合流し、戊辰戦争時に幕府遊撃隊を小田原藩軍がここで撃退したという山崎古戦場の碑を見る。しかしそのまま進むとどうも旧街道ではなくなるので、戻って登山鉄道のすぐ傍の空き地の木陰で昼食にした。ロマンスカーが登っていくのを見ながらおにぎりをほおばった。


 腹ごしらえを終えていよいよ箱根路へと進んだ。国道の緩い右カーブを過ぎるとその先には三枚橋と箱根湯本の駅が見えた。三枚橋を渡って進んでいくと急勾配の坂道となり箱根路であることを語っている。途中、早雲寺山門でトイレタイム。箱根観音の付近で右側の小道へ入る。これが旧東海道の石畳み道であるとの解説を読んでここから始まるのかと認識を新たにした。約200mの石畳み道を過ぎると再び車道と合流して進む。やがて初花の滝の碑と川向こうの滝を確認。いざりの初花が夫の仇討ちをしたことで有名らしいが私はここに来て初めて知ったことだった。


 須雲川橋を渡ると右手にきらびやかな大天狗山神社が現れる。その先の割石坂で右手の小道が旧街道である。箱根路のうつりかわりの掲示板で古来からいろいろルートがあったことを確認して進むとすぐに車道に出て、左手の下り坂に入る。旧街道の石畳み道の構造などの掲示板を見ながら丸くなった石を踏みしめながら進む。けっこうハイキングで歩いている人もいるので大勢の人に会う。はあはあ言いながら「こんにちは!」と挨拶した。間の宿である畑宿では「江戸より23里」と記された一里塚の前で休憩していたら、家族連れの方に写真を撮ってくれと頼まれシャッター・サービス。そして自分の写真は自分撮りでと、これではなんか寂しい気がした。午後3時前、まだ山を越えていないのであまりゆっくりもしていられずすぐに出発した。


 旧街道の小道から箱根新道とからんでいる湯本元箱根線に出て、3回ぐらいつづら折りの車道を進み、車道と別れて急勾配の階段を登るころにははあはあ・ぜいぜいで意識ももうろうとしてくる。まだまだ山の中だし、なるほど箱根路はきついなと独り言をいっていると見晴らし茶屋への別れ道が現れた。どんな所か見てみようと見晴らし茶屋への階段をのぼっていった。とにかく見晴らし茶屋前で一休み、景色はまあまあだった。車道を暫く進み、左手の小道に入り元の旧街道の道に合流。ゆったりとした坂の山道を暫く進むと車道をこえる為の歩道橋にでる。これを渡り旧街道の山道を進むと左手の車道に面した甘酒茶屋にでる。大勢のお客さんがいた。無料のお茶を飲み、甘酒とおでんを食べた。汗をふきふき飲む甘酒が格別にうまかった。午後3時40分、甘酒茶屋をあとにした。


 車道を渡り天ヶ石坂の石畳み道を登る。あの急坂に比べたらすこしはこの坂の方がらくかなといいつつ進む。やがて平坦な道となり二子山を右手にみつつ進むと、六道地蔵道標にでる。その先は下り坂となり、芦ノ湖がチラチラと見えてくる。権現坂という急坂を下り車道を渡る歩道橋を通過すると芦ノ湖へと続く杉並木道だ。杉並木を過ぎると芦ノ湖畔の赤い鳥居の前にでた。ついに元箱根に到着だ。午後4時40分、鳥居の側の店で湖を眺めつつ温泉饅頭を食べる。箱根宿はさらに杉並木を抜け、関所を越えたその先だ。しかし、今日の旅籠は逆方向に戻った元箱根の赤い鳥居近くの民宿「こばやし」だ。民宿に着くとおばさんが案内してくれた。なんと風呂は温泉だった。じっくりと汗をながして、さっそく食事とビールで今日の疲れを吹き飛ばした!



(09大磯宿) (11箱根宿)

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