13:沼津宿(ぬまづ)
・人口5346人、家数1234軒、旅籠55軒、本陣3軒
・鎌倉時代から古東海道の通路として千本松原、車返が登場
・伊豆地方の物産を江戸などへ輸送する港として発展、江戸廻しの船が4艘あった

 沼津---千本浜---松長---原 5.9km
 2002年9月21日、2011年8月1日





 三枚橋の交差点に10時35分に立つ。天気は晴れ、期待と不安を胸に、原宿を目指して出発だ。沼津駅から来たので交差点を右折する。と、そこに小さな橋の跡があり三枚橋と書いてあった。狩野川にかかる橋は三園橋と言われているのでこの橋が三枚橋の地名の元なのかと勝手に解釈して一応記念にカメラに納めた。暫く進んで行くと、左手に「旧東海道川廊通り」の道標があり、綺麗な石の道を進む。右手に沼津城址があるとガイドブックに載っていたが発見できず。どうやら広場の奥まった所にあったらしく、見過ごしてしまった。近代的なビル街の大通りを左折して進み、御成橋の所で右折して進み、交差点で又左折して、次の大通りを右折する。昔の宿場を示すものは何もなくあっさり通過してしまった感じだった。


 2011年8月1日、本陣跡を尋ねて再び川廊通りを歩いていくと、あゆみ橋の下の右手に川廓通りの案内板が現れる。ここで右手の橋の袂に進むと沼津城本丸跡の中央公園にでる。公園周辺では、若者たちが前日の花火大会の後片付けをしていた。


 御成り橋で右折して進み、駿河銀行の先で左折する。ここからが本町でその角に沼津宿の道標が現れる。本町の左手の歩道を進むと駿河銀行裏の駐車場の所に高田本陣跡の石碑が現れる。その先に進むと中村脇本陣跡、その先には清水本陣跡、向かいには間宮本陣跡が現れる。街道は宿場外れの静岡銀行の所で右折して原宿へと向かう。どの石碑も綺麗で比較的最近設置されたようである。以前に歩いたときには何もなかったが、石碑があると本陣があり問屋場がある往時の雰囲気が漂って宿場としての情緒が感じられる。設置してくれた町の皆さんに感謝したい。(追記完)


 原宿へ向かって街道を進むのではなく、左手にある若山牧水の墓のある乗運寺によってみることにした。寺の右手にその墓はあった。この寺は、武田勝頼が合戦に備えて伐採してしまった松原を復活させる為に、再び松を海沿いに植林したと言われている増誉上人が開いた寺である。今も残っている松原はこの和尚のおかげであるとのことだ。感謝!。


 ということで、東海道を外れて千本浜に出て見た。松林の公園を抜けて海岸線に出てみると富士の眺めが絶景だった。海岸線と松原と富士の組み合わせが日本人の琴線を揺るがす、とでも表現してもいい景色だった。地元の人も大勢散歩していた。この景色に暫し心を預けて堪能した。少しズームして松原越しに富士を撮ると、まるでプロが撮っようだと自画自賛したくなる実に絵になる写真がとれた。


 海岸線を暫く歩いて富士の風景写真撮りを満喫した後、松林内の千本街道を歩いた。これがまたすばらしい。車に気をつける必要もなく、電柱も人通りもなく、どこまでも続くこの道は昔の街道をあるいているような気分にしてくれる。途中で車道にでて大きなストアーでトイレタイムと休憩。水を補給して千本街道にもどり、彼岸花を見ながら昼飯をたべた。どこまでもこの街道を歩いていく訳にはいかないので、途中で車道にでると図書印刷工場があった。この車道を暫く進み、T字路を右折して線路を越えると、その付近が原宿だ。



(12三島宿) (14原宿)

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