50:土山宿(つちやま)
・天保14年の人口1505人、家数351軒、旅籠44軒、本陣2軒
・中世期、甲賀53家の一つである土山氏が治めていた
・鈴鹿峠を越える人、越えてきた人が泊まるので宿場は繁盛していた

 土山---頓宮---大野---新城---水口 10.5km
 2003年10月4日、2004年4月17日





 広重の土山宿の絵は雨にうたれながら田村川を渡る大名行列を描いたものだがその当時の橋が今はないので残念だ。「坂は照る照る鈴鹿は曇る、相の土山雨が降る」と馬子歌に唄われたように土山宿と坂下宿とは鈴鹿峠を境にして天気がガラリと変わることからこのように唄われたそうで、必ずしも雨が多いということでは無いとのことだ。当時の田村橋は国道一号線に架かっている田村橋よりも、もっと上流の位置にあったようで、河原のあるあたりに架けられていたようである。2~3年後に復活させるらしいので楽しみだが、見に行けるのか不安でもある。田村川に架けられた田村橋を渡るとその先の右手に田村神社の鳥居が現れる。
 田村神社の境内を見学する時間的余裕がないので鳥居をデジカメに納めるだけにした。なお、田村神社とは坂上田村麻呂を祀っている神社だ。坂上田村麻呂とは797年に征夷大将軍に任ぜられ、奥州方面への大和朝廷の勢力拡大に尽くした人物であり、鈴鹿峠の鬼退治が有名な伝説となって残っているとのことだ。関東人の私は聞いたことがないな・・・・。国道を横断して目の前の道の駅に入って休憩をとった。温かいお茶が無料なので何杯も所望してしまった。(田村神社内の様子は「消えた街道」を参照してください)


 大勢の観光客で賑わう道の駅をでて進み、突き当たりにある広重の土山宿の絵を見て右折する。しばらく進むと左手に「右京都へ十五里、左江戸へ百六十里」の小さな道標があり、その先には上島鬼貫の句碑がある。鬼貫は東の芭蕉に匹敵する俳人だそうだが、句碑の文字が達筆過ぎて読めなかった。宿場内では当時の屋号を示す石碑が沢山登場してくる。手はじめに旅籠の大槌屋跡などが出てくる。しばらく進んでいくと小川を渡る橋が現れる。橋の横には高校生ぐらいの若者が地べたに座っていたが、近づくと「こんにちは!」と挨拶された。「こんにちは!」と挨拶を返したが以外なことだった。よその土地の人にも挨拶しようという教育がいきとどいているんだなと感心した。知らない土地で、なにはともあれ若者から挨拶されたのがうれしかった。


 宿場内には連子格子の家があり街道筋の面影が今でも残っている。宿場の中程の右手には伝馬館という資料館があり、大名行列を再現したミニチュアモデルがあった。行列内の構成を人形でリアルに再現しており、長いながい行列となっていて面白い。伝馬館の先には土山宿本陣跡の石碑があり、後ろの家屋は過日の本陣そのものとのことだ。


 その先の赤い鳥居の横には大黒屋本陣跡と問屋場跡の石碑がある。そのまま先に進み土山宿を後にする。街道は国道一号線と合流するが、すぐに右手に入り白川の河原に向かう。だが、その手前に白川は渡れないので国道一号線を迂回するようにと注意書きが立っている。国道一号線にもどって白川橋を渡る。


 (2004年4月17日、河原に続く道を歩いてみる。ゆるやかに坂をくだり、お地蔵さまの祠前を通過して河原に出る。川は二筋流れていて、その先に見える坂道が街道のようだ。水かさは場所にもよるがやや浅いところもあり、水は冷たかった。対岸に回った時に、地元のおじいさんに聞いたら、以前は渡し舟が出ていたとのことだった。)


 橋の先で右手に折れて街道にもどる。川を渡った街道は田んぼの道を進み、坂を登ってくる。茶畑の道を進み右手の森の中に入ると垂水斎王頓宮跡が現れる。ここは平安時代、新しい天皇の即位がある度に、天皇の名代として伊勢神宮に遣わされる皇女の一行が宿泊した施設があった所である。180年間その習わしが続いていたそうで、京都から伊勢まで5泊6日かかっていたと記してある。


 街道にもどり、国道一号線を横断した先でT字路を右に折れ静かな街道を進む。右に国道、左に野洲川を見て進むと市場付近で一里塚跡が現れる。その先には大日川掘割跡が現れる。1699年に水害防止のために付近の村人が掘割を築いた跡だそうである。その先には松並木があり、旧街道の面影が残り旅情を満喫できる。寺前で国道一号線を歩道橋で渡ると国道の右手を進むことになる。しかし2kmくらい進むと、再び国道を渡ることになる。国道一号線の左手先に土山一里塚碑があるとガイドブックに記されているので探したが見つからない。時間も押してきたのでそこにある水口宿の入り口を示す塔をデジカメに納めて先を急ぐことにした。


 県道と国道一号線との間の坂道を登り、しばらく進んでいくと一里塚跡が現れる。な~んだ、またガイドブックの誤記じゃないかと不満をいいつつ、一里塚跡があったことで喜びを覚え、デジカメのシャッターを押す。街道を進んでいくと突然、湖かと思うほど水を蓄えた岩上橋の地点にでる。すぐに右手に入って進んでいくがだいぶ陽が傾いてくる。新城のY字路手前では前方左に夕焼けが輝いている。17時半になってしまった、急がなくてはと思い心持ち足を早める。Y字路を右手に進み、やがて大通りを通過する。薄暗くなってしまったが、その先は水口宿だ。



(49坂下宿) (51水口宿)

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