06:戸塚宿(とつか)
・天保14年の人口2906人、家数613軒、旅籠75軒、本陣2軒
・東は吉田大橋手前の見付から、西は富塚神社の先の見付までが宿場
・東海道の両隣の宿だけでなく、鎌倉へも継立てをしていた

 戸塚---大阪上---原宿町---大鋸町---藤沢 7.8km
 2002年5月3日





 ブリジストン横浜工場のところで国道1号線合流した街道は、やがて広重の戸塚宿の絵に書かれている吉田大橋にでる。柏尾川にかかるこの橋の途中には広重の絵などが埋め込まれており、当時を忍ばせてくれる。しかし車が多く、暫し待たないとシャッターチャンスが訪れない状況だった。吉田大橋を渡ると街道は左へカーブして進む。


 繁華街で右にカーブしJR戸塚駅を左手に見ながら東海道線の踏み切りを渡り、次に左にカーブして進むと右手の消防署の手前に澤邉本陣跡、そしてそのずっと先には富塚神社がある。富塚神社の先で右にカーブして戸塚宿を後にする。(じつは、この日が最初の東海道の歩きはじめだったので、デジカメはもったものの一応通過した証拠に町並みでもと構想していただけなので、遺跡を見てもそれを撮らなかった。いまから思えば残念でしかたがない。そいうわけで後日、本陣跡と富塚神社をデジカメに納めてきた。本陣跡の前には「本陣」という大きな料理屋があり澤邉家とはどういう関係なのかな・・・・。)


 坂道を上って進み、街道は大阪上で戸塚宿をパイパスしていたバイパス国道1号線と再び合流する。ここからはひたすら国道を歩くことになる。途中トイレにいきたくなってどうしょうかと悩んだ末に、ガソリンスタンド・エネオスでトイレをお借りしたいとお願いした。店員さんから、「どうぞ」といってくれたのがうれしかった。初日から街道ウオーキングの悩みであるトイレ問題に当たってしまった。とにかく街道沿いのGSなどでお願いするしかないこと、また、こまめにできるところでは用を足しておく心構えが大事だと痛感した。昼間、町中では立ちションができないのだから!


 途中、国道1号線でも車道脇の松並木の外に歩道がある箇所があり、こういうつくりだと日陰もできて旅人にはありがたいものだ。車の騒音もいくらか和らぐ感じがする。国道をひたすら歩き進むと、左手に木々に覆われた諏訪神社が現れる。その先で街道は、国道1号線と別れ左へと分岐して藤沢宿方面へといく。ゆったりとした下り坂がうれしい。この先の遊行寺で一休みして、その先は藤沢宿だ。



(05保土ヶ谷宿) (07藤沢宿)

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