34:二川宿(ふたがわ)
・天保14年の人口1468人、家数328軒、旅籠38軒、本陣1軒
・遠江から三河の国に入って最初の宿場である
・宿場としては小規模のため本陣役も苦しく、当初の後藤家から引き継がれていった

 二川---火打坂---二軒茶屋---瓦町---吉田 6.1km
 2003年3月30日





 二川宿手前の橋から右手を見ると、遠くに立岩といわれる切り立った岩山が見えるはずだが、そんな余裕もなく見落としてしまった。二川宿に入って200m位歩くと右手に一里塚跡がある。その先の右手には参道を桜で飾った妙泉寺、その少し先には二川八幡神社がある。あまり枡形らしくない枡形(鉤の手)を抜けると、その先の右手に連子格子造りの商家が現れる。東駒屋という味噌屋で今も製造販売しているとのことだ。


 その先の左手には綺麗に復元された二川本陣が現れる。小宿場なので経営が大変だったそうで、後藤家、紅林家、馬場家と経営が変わったとのことで、最後の馬場家より豊橋市に本陣跡が寄贈され復元されたとのことだ。トイレ休憩と見学を兼ねて、入場料300円を払い、中を見学させてもらった。先を歩いていた二人づれは部屋に上がっていったようだったが、靴を脱ぐのが面倒なので土間や板の間、大名が泊まった上段の間、中庭などをみて回った。当時の庭をどれだけ復元しているのか分からないが中庭の造りは狭いながらも質実な造りだと思える。この時、二階があるのを知らなかったので二階の資料は見逃してしまった。また、資料館の広場には当時の高札なども復元されてある。

(該当する写真が撮れてない!)

 本陣を後にして進んで行くが、どこかで昼食のおにぎりを頬張るのに適当なところはないかと探しながら歩くが見当たらなかった。風も強いので風を避けられる所ということで、宿場はずれのJR二川駅、二階の改札口前のベンチの端の席を利用させてもらった。向かいのキオスクでお茶のペットボトルを買い、タダで利用しているのではないと気配りもして昼飯にした。梅干し、赤飯、鮭のおにぎりとお茶、そしてお菓子などを食し、少しばかり食後の休憩もとり、ゴミを残さないようにして引き上げた。風を避けることができたし、トイレにもいけたので、けっこう快適な昼食タイムがとれた。二川駅に深く感謝!


 二川駅を後にして街道を進むと、道はゆるやかに右にカーブし、火打坂の坂道となる。坂を登りきってしばらく進むと、何の目印もないT字路が現れる。街道を行くにはここを左に曲がって進む。岩屋観音がここから見えるとの解説がガイドブックにあったので左手を見上げるが、ただ山があるだけで、それらしきものは見えなかった。


 何の目印もない道を約2kmあるくと、吉田宿と二川宿との中間地点である殿田橋が現れる。この橋を越えた先で、再び国道一号線と合流する。そして騒音と排ガスに包まれながら、足の痛さを堪えて歩くこと約2km強。家やビルが段々と密集してくる。吉田宿が近づいている。前方には二人ずれの旅人が見えてきている。瓦町交差点の角に龍宮城のような門が現れる。寿泉禅寺の山門だ。珍しいのでデジカメに納めて先に進む。いつのまにか二人ずれの姿は見えなくなっていた。どこかに寄って、見ていく所はないはずだがな~などと勝手な推測をして足の痛さを堪えつつ歩く。やがて右手から来る道と合流する地点に差しかかる。そこで左折するとその先は吉田宿だ。



(33白須賀宿) (35吉田宿)

ホーム東海道>二川宿