26:日坂宿(にっさか)
・天保14年の人口750人、家数168軒、旅籠33軒、本陣1軒
・日坂の地名は小夜の中山の西坂ということからきた
・問屋片岡清兵衛の直訴で米の下付けが認められたが当人は罪人となり牢死

 日坂---伊達方---千羽---成滝---掛川 7.0km
 2003年1月11日





 国道一号線を渡り宿場内に入ると家々が建ち並び、ひっそりとしているが宿場の雰囲気を醸しだしていた。それぞれの民家には昔の屋号を示す木札が下げられていた。しばらく歩くと右手に「ここは宿場町・日坂の駅」という宿場の解説と絵図が現れ、その横には本陣・扇屋跡がある。今は幼稚園の入り口となっている。その先には当時の雰囲気を漂わす連子格子の池田屋や萬屋がある。


 川の手前には旅籠・川坂屋がある。沓掛付近にあった広重の絵は、橋と民家が描かれているので、情景的にはこの川坂屋の付近を京側から見て描いたものと思われる。橋を渡った先には高札場が復元されている。宿場内で食べる所があったら昼食にしようと思っていたが店らしいところはなく、用意したおにぎりをたべるしかないと諦めて休憩する場所を探しつつ歩いたが、いいところがなく、ついに宿場を過ぎて国道一号線に出てしまった。


 ところが、国道一号線を渡った先には、まさに休憩にはベストな事任八幡神社が現れた。広いがよく清掃され、立派な大木のある境内をながめ、デジカメに納めてから入り口付近の常夜灯前で昼食にした。事任(ことのまま)願いがかなうということから事任八幡という名がついたとのことで、珍しい名前に感心したが、大風呂敷を広げすぎるのではとやや懐疑的にもなった。ともあれ旅人には国道一号線の騒音から逃れて一時の休憩を与えてくれる感謝するべき社だ。しかも、神社の先にはトイレも隣接していたので、ありがたい限りだった。私にとってはまさに事任に願いがかなったというべきかもしれない・・・・。


 事任八幡神社をあとにして国道一号線を先に進む。国道一号線のバイパスと交差する箇所を直進し、その先のY字路は左に入っていく。左手には塩井神社の鳥居があるが、社は川を渡った先にあるという珍しい造りだ。さらに進むと右手に伊達方一里塚跡がある。再び国道と合流するが、しばらくするとまた分かれ、そしてまた合流する。その後は国道一号線を2km位進み、薗ケ谷付近で旧街道は国道一号線と分かれて左手に進む。その少し手前でたこ焼きを売っている店があったのでたこ焼きを食べて小休止。


 たこ焼きでエネルギー補給してから再び掛川宿に向かって進む。左手に入ってから1km位進むと馬喰橋に至りその先には葛川一里塚跡がある。いよいよ次の掛川宿だ。時間は15時、足も異常なし。今日は余裕で宿場に着けたな、と一安心。掛川宿に向かって歩を進める。



(25金谷宿) (27掛川宿)

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