21:丸子宿(まりこ)
・天保14年の人口795人、家数211軒、旅籠24軒、本陣1軒
・丸子宿の名物はとろろ汁、丁子屋は広重の絵にも登場する店だが今も健在だ
・丸子宿は東海道のなかでも小規模の宿駅で、安倍川の川越に関わる人が多かった

 丸子---赤目ヶ谷---宇津ノ谷峠---横添---岡部 7.8km
 2002年11月9日、2003年11月23日





 国道一号線から分かれて直進して旧街道を進むと丸子宿と書かれた道標が左手に現れる。その先でゆるやかに右にカーブした先が丸子宿である。丸子と書くが以前は鞠子と書いていたらしく「まりこ」と読むのが正解なのである。東京近郊に「まるこ」(下丸子とか新丸子とか)という地名があるので字をみて「まるこ」と読んでしまっていたのが恥ずかしい。


 宿場内には、一里塚跡が途中の右手にあり、その先には立派な本陣跡の石碑があるだけだった。それらが無ければただの町という、昔の面影を残していない、ひっそりとした宿場だった。ただし、宿場の外れには広重の絵に登場する有名なとろろ飯の店「丁子屋」がある。広重の絵に登場したようにいまでもひなびた茅葺き屋根の茶屋のような趣のある店だ。芭蕉はこの地で「うめ若菜、丸子の宿のとろろ汁」と詠んだとのことだ。その店の中に入ってみたいが、時間がないのでカメラに納めて岡部宿へ急ぐことにした。橋を渡ると右手に高札場跡があり、当時の高札が復活されていた。


 旧街道を進むと何故か街道脇にはラブホテルが出現してきた。だんだん日が暮れてくるのに、これから宇津ノ谷峠をこえて岡部宿まで行かなくてはと思い、気がせってくる。旧街道は国道一号線を左右に蛇行するようにあったらしいのだが、とにかく宇津ノ谷トンネル口まで国道一号線を急いで進んで行った。国道の左手を歩いていたのでトンネル前で歩道橋で右手の旧街道へと移り、夕闇せまる旧街道の宇津ノ谷の里に入る。ひっそりとした街道を進み、宇津ノ谷の集落の道標を確認したときにはすっぽりと夜の闇に覆われていた。午後5時なのにすでに暗夜行路となってしまった。


 薄くらい誰もいない坂道に入ると、遠い昔の情緒が漂う集落の風景があらわれた。「おおっ!」とひとり感嘆し、坂道を登る。懐中電灯で地図を照らし、つづら折りの坂道を登るが峠へいく道が分からず右手の舗装された道路にでる。そこにはラブホテルがあり、その先はトンネルだった。あのトンネルの先に岡部宿へいく道があるのか不安だったので、ラブホテルにもどって聞くことにした。ホテルの勝手口で「こんばんは」と何度叫んでも誰も出てこない。どうやら電話をしているようで、しばらく待って叫んだらご主人が出てきてくれたので岡部宿へ行く道を聞くと、やはりトンネルをぬけて下っていけばいいと教えてくれた。


 オレンジ色のトンネルを抜けるとその先は漆黒の闇だった。とぼとぼと歩いていると、ヒタヒタと迫ってくる音がした。あわてて懐中電灯をむけると人が走って行った。「エッ!こんな場所を、こんな夜に?まさか幽霊では?」などと思いつつ夜空を仰ぐと三日月が微かに顔をだしているだけだった。とにかく急いで歩いていると、再びヒタヒタという音がして今度は追い抜いて行った。やっぱり人間だと気をとりなおして進むと、国道一号線と平行してはしる地点にでた。ひたすら急いで歩いた。そろそろ岡部宿かなと思い、途中の酒屋さんに入り、店先で泊まりの旅籠の名をだして聞いたらだいぶ先だといわれた。酒屋さん!道を聞くだけの客ですいませんでした。ということで、秋の日は短く、峠は都会のように明るくないことを反省しつつ、岡部宿を目指して歩いた。


 (1年後の2003年11月23日、宇津ノ谷峠を目指して再挑戦した。丁子屋前から出発し、橋をわたりラブホテル前をとおり過ぎると、旧街道が国道一号線の両側に蛇行して存在している解説の地図がある。その先の山本建設工業・採石場の看板があるところで国道一号線と接触するが旧街道は左前方の道へと進み、旧街道を忠実に進んでいく。)


 (暫く進むと左手に日本の紅茶発祥の地「丸子紅茶」の看板を発見。先に進むと再び国道一号線と合流するがその先の歩道橋を渡って今度は国道の右手の方に進んでいく。再度国道と接触し、再び右手に分かれて進み、その後国道一号線と合流。宇津ノ谷のトンネルの手前でトイレ休憩。旧街道はだいぶ蛇行していたことを実感しつつ、右手の旧街道の道筋へと進む。前回はここらあたりで日が沈んでしまったことを思いだした。)


 (ようこそ宇津ノ谷への案内板を見て、左手の集落へいく橋を渡った。目の前には坂道の沿道に連なる宿場の情景がとびこんできた。日の光の下でみるその風景は、昔の面影がそこはかとなく漂う街道の宿場だった。街道奥の慶龍寺と街道横のお羽織屋を訪ねた。豊臣秀吉からもらったという羽織を見たが、元は白い絹の生地だったそうで月日がたってグレーになってしまったとのことであった。街道を通る諸大名らが拝観していったとのことで大岡越前などの記帳もあった。)


 (つづら折りの坂道を登り、いよいよ峠へと進む道には「旧東海道のぼり口」の道標があった。前回はまさかこんな粗末な道ではないと思い通りすぎ、県道に出てしまったのだった。そこを登って竹林を通過していくと集落を一望できる見晴らし地点にでる。左手にそのまま進むと明治トンネルの前に出る。)




 (手前で鬱蒼とした山道を登っていくとやがて明るい峠にでるが、この峠道では誰にもあわなかった。前回のあの暗闇でこの峠を登るのはチットムリだったなと思い、あれは仕方がなかったなどと考えながら峠を降りていくと、にぎやかな中高年者のハイキンググループに会った。髭題目碑の前を通りすぎ、急な坂道を下っていくと蔦の細道との合流点にでる。昼食と休憩をとろうと思い蔦の細道側に100m位進むと、そこは公設の休憩場所らしくトイレもあり大勢の人が休憩していた。早速河原近くでハイキングの人たちに混ざって昼食のおにぎりをほおばった。)


 (昼食後、元の旧街道を進むと右手に延命地蔵尊(鼻取地蔵)があり、その先で国道一号線に合流し、暫くすすむと歩道橋がある。それを渡って国道の右手の県道を進む。ここからは前回と同じ道を歩いて岡部宿へ進むことになる。酒屋さんに道を聞くことはない。途中、左手に岡部宿案内板が出ている。その先は岡部宿だ。)



(20府中宿) (22岡部宿)

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