28:袋井宿(ふくろい)
・天保14年の人口843人、家数195軒、旅籠50軒、本陣3軒
・掛川宿と見付宿との間が4里と離れ過ぎていたため、他より15年遅れて解説された
・宿場の家並みは572mと東海道の宿の中で最も短かった
袋井---木原---三ケ野橋---富士見町---見付 5.8km
2003年1月12日
これより袋井宿という石の道標を確認して川沿いに進み、次の橋を渡って左折するのだが、橋を渡った先に休憩所があった。袋井宿の道標と「東海道どまん中茶屋」をカメラに納めていると、茶屋のおじさんが「どうぞ、休んでいってください」といって何回も勧めるのでチョット休憩することにした。店に入ると別の人がいて、あれ?見たことのある人だな・・・・、「どまん中茶屋」の写真に写っている方だと思いだした。お茶とお新香をご馳走になった。喉が乾いていたのか、飲み過ぎかなと思いつつも温かいお茶がうまくて3?4杯いただいてしまった。茶屋の人と街道歩きの話になり、絵を書いて歩いている人などの紹介があった。また近頃はインターネットにも東海道の歩き旅のことが載っているよと店のパソコンで見せてくれた。自分が半年前ごろに検索したときには見つからなかったのでへえ?と思い、帰ったら早速探してみようと思った。ちなみにお茶は無料であり、トイレもお借りできる。どまん中茶屋の皆さん、その節はお世話になり、ありがとうございました。 |
ところで広重の袋井宿は、宿の東側にあたるこの付近にあった出茶屋を描いたもので、現代の出茶屋「どまん中茶屋」は、その絵になぞらえて、この地に2000年にできたようである(三周年記念の看板があったので)。袋井宿は江戸から数えても、京から数えても27番目になることから「どまん中」の宿と自称している。 |
宿場内に進むと、300m位先の右手に木戸だけが立っている東本陣跡がある。その先の交差点左には宿場公園がある。直進して進み、御幸橋を渡り、やがて大きく右折し、さらに左折して袋井宿を後にする。1km位進んだ先でY字路を右に進むと、木原一里塚跡がある。 |
その少し先にこね神社がある。入り口には徳川家康が腰掛けたという腰掛け石がある。少し入った右手にはこの地は木原畷とよばれていたところで、武田信玄軍が陣をはり家康軍と戦ったことが解説してある。 |
先に進み国道と合流し三ケ野橋を渡り、左手の旧街道をこんもりした丘に向かって松並木を進む。坂を登って行くと、途中に大日堂古戦場跡が左手にあるのだがパスして先を急ぐことにした。丘を登り切って右折し、高台の道を進み、やがて下っていき、松並木の坂をまた登り国道と合流する。合流した所で歩道橋を渡り国道の右手にある遠州鈴ヶ森刑場跡をみる。金谷宿で登場した日本左衛門はここで処刑され、首を晒されたとのことである(実際の処刑場は少し先の三本松にあったと解説がある) |
その先で国道と分かれて右手の道を進む。しかし国道にマクドナルドの店が見えたので、13時を過ぎていることだし、そこで昼飯にしょうと入ったが満席。あきらめて退散。マクドはどこでも人気があるんだな?と認識を新たにした。次の見付宿で食べることにして街道にもどって進む。やがて下りの坂道となる。坂を下った先が見付宿だ。 |